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コミュニケーションの耳袋

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2007年08月11日(土)

宝生能楽堂でのお稽古

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宝生流能と和泉流狂言を
同時に体験するというまれなる機会に恵まれました。
しかも、お稽古の場は、宝生能楽堂。
日本演劇の真髄を拝まさせていただきました。

正直、狂言は大好きだけれど、
能は何を言っているかわからないし、悲劇的なテーマだし。
ということで、あまり見ていませんでした。
だから、悪い大人の固定観念というやつですね。
ほんと、油断大敵。隙を作るとすぐに棲みついている。
ま、もともと5つの能曲の間に、口直しに狂言が入っていたそうですが、
いまは、別々に行われることが多い。
能が主宰だと、狂言は入るけれど、その逆はない。
野村萬斎人気で、狂言は絶好調ですが、
能はどうでしょうか。
しかし、摺り足、構え、動きなど共通点は多い。
両者とも、舞台美術などの助けがない舞台で、
観客の想像力を頼りに演じていく。
それだけに、小さな様式の積み重ねの中で
大きな心の動きを表現していく。
演劇的に大きな嘘はないが、観客にとってわかりやすい
小さな嘘は散りばめられてる。
だから、難しい。
決められた様式の中で、観客に伝わる感情を
小さな嘘の中で表さなければならない。
そう思っているじぶんの大人的なスタンスがまずまずい。
思い知らされました。
大人はなかなかゼロにできない歴史を背負っている。
お稽古では、師匠が100.弟子はゼロ。
100%師匠に合わせなければ、能狂言として成立しない。
なのに、勝手に解釈してしまうじぶんがいる。
オーマイゴッド!
学校を卒業すると、100%覚えるという稽古はしません。
それが、大人を硬くしているのでしょう。
じぶんをゼロにする体験。この歳で有難かった。
能と狂言の違いを話さずじまいでした。次回。

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