青森県三沢市にある寺山修司記念館。
まるで、寺山修司の脳の中身が
ひとつずつの机の中に納まっているようでした。

寺山修司が没してから、すでに26年。
その間に、日本は
バブル、バブルバースト、不景気、格差社会
そして、金融危機。
いま、寺山が生きていたら何をしたのか。
そんなことが頭に浮かびました。
で、行ってきました。寺山修司記念館。

三沢駅からタクシーで30分くらいの林の中にありました。
なんだか、ヒタヒタと血がぬたりです。

寺山修司は、青森出身ですが、
弘前市、青森市、八戸市、三沢市、五所川原市と転々。
青森県は、津軽と南部であまりにも性質が違うので
昔は同じ県と思えないほどでした。
ですから、寺山修司はどうなのかは論じることができません。
なぜ、記念館が三沢にあるかも不思議。
小学時代の同級生が奔走したということですが
理由としては不明確です。
ともあれ、天才俳人にはじまり、
犯行の演劇家、作家、エッセイ、映画監督、
作詞家、そして競馬評論家(?)などなど。
何の専門家か不明です。
本人曰く、職業は寺山修司。
映画「田園に死す」は、衝撃でした。
映画のジャンルをはるかに超えていましたから。
また、
カルメンマキ唄う「時には母のない子のように」
競馬、モンタバル家の狂った血を受け継ぐ「モンタサン」
寺山修司の発するメッセージは、
社会のアンチテーゼでした。

記念館内部は、まるで寺山修司の脳細胞が
ひとつずつ展示されているように
机の引出しに、寺山修司の作品が収められていました。
それが、ズラリと並んでいる。

まるで、寺山修司の脳細胞と会話しているような感覚です。
あの、ピリピリした自意識を目の当たりにしているのです。
血管までピリピリしてきました。

こんな寺山修司のような、何でもできる人が
求められている。
私は強くそう感じています。
知的なものが後ろに隠れる社会。
そんな社会をぶっ壊すことができるのは
まさに、寺山修司のような知的スーパーマン。
彼の考えることはただ社会へのアンチメッセージ。
清志郎といい、
なぜだか、そういう人がいなくなってくる。
スーパーマンがいないのなら、
ひとりひとりが、底上げするしかないのです。
それしかないのです。

