2009年は、
人間という不可思議な生き物にとって
一体何だったのだろうか。
そういう回顧の日がくるような気がしてならない。
金融が破綻して1年以上。
社会は改善するどころか、闇に向かってまっしぐらの様相である。
また、私にとっては、還暦というとてつもない節目を迎えた年。
1980年に渋谷をふらふら歩いているとき聞いた
ジョンレノンの死は、21世紀を生きていることなど
その当時の若者に、想像を許さない出来事だった。
しかし、私は60歳という老いを抱えながら
ピンピンと生きている。
それどころか、仕事を忘れずにきちんとこなしているかが
気になる1年であった。
老けこむのは、まだ早いが、
近頃、物忘れが不安である。
机の上に置いたものを見つけることさえできない始末。
一方、体内脂肪を計る機械では、
38歳と表示され、にやり。
まことに、人間という生き物は、
いい加減なものである。
ますます、実感をもつ。
それにしても、
この世の中の価値観の急激な変化はどうだ。
消費に浮かれ、便利さに取りつかれ
わが世の春を謳っていたいたのは、ついこの前。
それが、家にいることがいちばん大好きとは
どういう心境の変化。
まだまだ、「Money」という貨幣神にとりつかれているのかしらん。
どっこい、そういう人ばかりでもない。
千載一遇のチャンスとばかり、
人間とは何?
日本人とは何?
を考える人が続々現れてきたようだ。
また、そういう意見に耳を傾ける人が増えてきた。
人類学にしても、もうやることはないと言われたこともあった。
歴史学にしても、固定した見方がずっと続いてきた。
しかし、ここにきて、人類学が光を放ちはじめたような気がする。
なぜ、世界中に、途方もないほどの神話が存在していたのか。
昔は、年寄りがよく話しをしてくれたものだ。
鮭に乗った男がやってきてこの町をつくった、などと。
そういう話には、必ず、自然や話をする動物が登場した。
それだけ、地球に生きる存在は、同列にあったのだろう。
神話的な話をしたいというより、
そういう人間の成り立ちについて、
ひどく興味が立ち上がってきたのだ。
なんだか、年寄りの習性のようだが。
しかし、いまが人間の転換点だと
勝手に思えば、そういうことを考えざるを得なくなってしまう。
歴史にしてもそうだ。
日本は農耕の国と言われているが、
私の家は漁民。
能登あたりでは、昔から農民は少ない。
漁民つまり、移動民。
彼らも間違いなく、日本を支えていたに違いない。
こんなことを考えるようになったのも
芸術人類学者中沢新一さんの本を読んだり、
話を聞いたりしたからこそ。
おかげで、網野善彦さんというすごい歴史学者も知ることができたし
レヴィ・ストロースや折口信夫をも一度読むこともできたし。
この年になっても、影響を受けやすいのはいいのやら何やら。
2009という年は、
私にこんことを考えさせてくれた。
みなさんはどうだろう?

