諏訪という場所は、
なにやら古層の神の匂いがプンプン。
東北地方でさえ、深く奥底へとどめられているものが
露出している。
そのひとつが、「小袋石」(おふくろいし)

諏訪の神様のルーツと言われる諏訪大社前宮から、
30分ほど山の中へ入った森の中に
突然現れた、高さ5メートルもあろうかという巨大な石。


なんで、こんなところに?
なんで、こんな斜面に?
と思わずにいられないほど唐突にその石は現れる。
石の中からは松が生え、
真ん中の割れ目からは、ちょろちょろと水が流れている。
背筋がゾクッとした。、
なんともエロティックである。
噴火で飛んできたのか?
ここまでもが海だった?
よくわからないけれど、縄文時代あたりから
ここにドッかと腰を落ち着けていたのか?
磯並神社のご神体らしく、
まわりには、小さな祠がちゃんとある。
その四隅には小さな御柱も。


その当時から、1万数千年もたっているけれど、
諏訪を歩いていると、
そのときから、何も変わっていないということがよくわかる。
進歩したような錯覚を起こすのは、
科学技術のマジック。
でも、人間の心はそこから何も変化していないし、
いや、心の使い方は退化しているのかもしれない。
社会や、宗教が生まれる前の日本。
そのとき、私たち日本人は、何を考えていたのか?
縄文は、それをもう一度ちゃんと考えるように
我々を仕向けているのだろう。
土器、土偶、道具など
縄文はすでに、すべてのものを持っていた。
計り知れないポテンシャルの時代。
それが私たちにつながっていると思うと、
俄然、わくわくである。
詳しくは、
「縄文聖地巡礼」という
坂本龍一さんと中沢新一さんの本で。

