神長官守矢史料館は、諏訪の宝庫だ。
内部は、ゾクッとするほど神々しい。
壁にある剥製は、まったく違った霊気が漂う。
なぜだろう?

諏訪はほんとうに、古層の神がむきだしている。
前回の小袋石もそうだが、
神長官守矢史料館は、そこらの史料館とは一線を画す。


建築家の藤森照伸さんがつくった建物だが、
外観はもとより中の展示物、所在地すべてが古層を感じさせる。
なかでも異彩を放つのは、ずらりと並んだ鹿の頭。
縄文時代から続いていると言われる
「御頭祭」で儀式に使われるものだ。
それは、人間と動物(自然界)が共存するためのもの。

人間のためにタンパク源として供された動物に感謝するために
動物の霊をあの世に返し、
また、豊かになって戻ってもらう。
いわば、死と再生の儀式。
当然、むやみに狩猟することはなかった。
神からの贈与という精神をもっていた証だ。
また、仏教が広がり肉食が禁じられたときでも
諏訪では、「鹿食免」(かじきめん)というお札を発行し
肉食を認めたらしい。
信念を曲げない諏訪魂。




また、諏訪は古代から明治の初めまで、
守矢家が神長官として、この地を治めていた。
いたるところにその名残が見える。

また、ミシャクジを祀ってある祠や古墳もそのままに在る。



こうやって諏訪を歩いていると
縄文の暮らしが身近に思えてくるのはなぜだろう。
神や自然がすぐそこにあった頃が
いちばん日本人が日本人らしかったのではないか。
すべてを同等にとらえる能力がもっとも輝いていたのではないか。
そう思うと、いまの日本人は?
そして、これからをどう生きるか?
そんなことが自然に頭に浮かぶのである。
さて、どうする?

